祖父と孫で作るぶどう【2016年8月訪問記】
2016年9月23日(金)
[カテゴリー] スタッフ日記
”じいちゃん“は、今年83歳。
「畑にいかないと、肩がこる」と今でも毎日畑にでかける働き者。
数十年前に野鳥や野猿を追い払う「爆音機」の
誤作動で鼓膜がやぶれてしまったため、耳がほとんど聞こえません。
↑上の写真の赤い機械が、爆音機。
グレーのタンクにガスが溜まると
バコーンとけたたましい爆発音がなります。
ぶどうを食べに来る野鳥たちは、この音がなるといっせいに逃げていくそうです。
「昔は日本の収穫時期には、ぶどうを輸入していなかった。
今では年中輸入している。日本のぶどうは外国産の安いぶどうに負けてしまう。」
ぶどうが適正価格で売れず、後継者が育たない、
近隣のぶどう農家も年々少なくなってきたといいます。
そんな時代の流れの中、大学を卒業した孫の徹哉さんは、
山科区でぶどう作りの名人に出会います。
綺麗に剪定された作業効率のいい畑や、
自営の直売所での売れ行きを目にし、
まだまだぶどう作りには可能性があると感じたそうです。
▼ぶどうの木は、3~5年目より毎年収穫できるようになります。
巨峰の場合、房に蕾がつきだしたら、先端の3~5cm程度を残し、
枝に近い部分の蕾はしごいて取り除きます。
こうすることによりに、実がまとまった一般的なサイズの巨峰になるそうです。
そして、種なしにする作用のあるジベレリン、
ぶどうの花付きを良くさせるフルメットという着花剤を順番につけていきます。
ジベレリンを入れているのは、焼酎の一升瓶。
「あるもんでやる。」というのも、内垣家の心情らしいです。
一房ずつ手作業でつけていくため、たまにつけ忘れて種あり巨峰ができることも。
「デラウェアは、種があると実が大きくなるのでわかりますが、
巨峰になるとわかりません。でも、じいちゃんは見たらすぐわかるようです。」
”じいちゃん“の作業を目で見て、ときには大声で問いかけながら、
ぶどう作りのノウハウを学んでいます。
いずれは全国展開へ、23歳の夢は膨らみます。
内垣さんのぶどうは、現在、じねんと市場と、
桂川イオンの1階「久世福商店」さんにて販売中です◎
巨峰、ネオ・マスカットの2種、もうそろそろ終わりがけなので、
食べてみたい方はお急ぎくださいませ(2016年9月23日現在)